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結婚記(挨拶・式場選び)

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コンテンツ掲載日:2000年06月04日
最終更新日:2007年02月20日

ことのはじまり|<<挨拶・式場選び>>|結婚式の準備・当日新居の準備新婚旅行

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◆両親へのあいさつ

当然ながら、お互いの両親に報告とあいさつすることを欠かすことはできません。
私たちの場合は、出会った当初から「公認状態」でしたので、親やきょうだいによる反対にあうことはありませんでした。
双方の両親とも、二人の結婚を大変に喜んでくれました。
蛇足ですが、私はあいさつの際にドラマなどでよくある
「お嬢さんを私に下さい。」
というような台詞がどうしても好きになれなかったため、使いませんでした。この言葉が、女性をあたかも物でも扱うような意味合いに取れるからです。後日になってあいみが
「ウチの母がどうしてもそういう台詞を聞きたがっている。」
と言うので、やむなくもう一度あいさつしたことがあります。ただし、好きでもない台詞を嫌々口にしても気持ちがこもららず、相手に対しても失礼であるため、自分流にアレンジしたのは言うまでもありません。

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◆挙式・披露宴の形態

挙式と披露宴は親類たちに対して結婚を公表する意味があります。また、親からの援助があるないにかかわらず、少なくないお金がかかるものです。それゆえに、両親へのあいさつをした際に、二人で事前に相談した結果を話し、大筋で了解を得ておきました。
その大筋とは、

(1)親類とごく親しい友人を披露宴に招く(いわゆる「内輪でやる」ということ)
(2)挙式・披露宴の場所は、双方から地理的・時間的に見ても程よい距離の場所で行う
(3)派手になり過ぎないようにする

というものでした。
以下にそれぞれの根拠を記します。

1.内輪で挙式と披露宴を行う理由

披露宴については、双方の勤務先関係者を来賓またはそれに近い形で招くことケースが多いようですが、私たちの場合は、職場関係者については往々にして人選の困難さ(「あいつが呼ばれているのに、おれが呼ばれていない」というやっかみ等が生じることが考えられる)が予想されることや、お祝いなどの金銭的な負担をかけさせたくないということが第一点、あいみが既に会社での仕事を離れて数年が経過しているために、それが不可能なことが第二点、過去に、職場関係者ばかりの披露宴が非常に堅苦しくてつまらなかった(これは私の両親の体験談ですが)というのが第三点目の理由でした。そういう意味において、あいみが職場を離れていたことは幸いでした。私たちは儀礼的なものにとらわれず、本当に呼びたい人を呼んで披露宴を行うことができました。

2.披露宴の場所は双方に程良い場所とする理由

私が名古屋、そしてあいみが三重県南部に住んでいるため、挙式の場所には悩みました。名古屋市内または双方の住んでいる場所を直線で結んだ中間点あたりが適当かとも思いましたが、挙式前までに新婦とその母親が式場へ何度か行き来する場合が考えられるため、なるべくあいみの自宅から遠くない所でやることとしました。

3.派手にしない理由

お金には限りがあります。まだこれから将来にわたって絶えず生活費もかかりますし、やがて産まれてくるであろう子どもの養育費などの貯蓄もしなくてはなりません。これについては詳しいことを述べるまでもないでしょう。

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◆挙式・披露宴をいつ、どこでやるか

二人で結婚の意志を確認しあったのが1998年の5月中旬のことでした。本来ならば、そこから直ちに次のステップとして式の日取りと場所を決める作業にかかるべきなのでしょうが、彼女が足を負傷し、一時入院という事態に陥ってしまいました。幸いなことに入院自体は短期で済み、退院後は、彼女の心のリハビリも兼ねて数回のデートもしました。式場選びについては前項で「双方に程良い距離で」と述べたように、まず自分自身が土地勘をつけることもあり、彼女に教えてもらった式場を何箇所か自分ひとりで回ってみました。こうして式場から最寄駅までのアクセスや会場自体の広さや雰囲気を自分の目で十分に確かめてみました。
この段階では、まだ挙式の日取りは決めていませんでした。
「大安」などのいわゆる「日柄のよさ」もさることながら、重視したことは招待されるお客さんに来てもらいやすい曜日を選ぶということでした。式は先述のとおり、名古屋ではなく、二人の実家から程よい距離にある場所ということで決めていました。
そこで、挙式・披露宴のお客さんの多くがどこからやってくるかを考えてみました。
それによれば、私の方が愛知県内が大多数。そして彼女の方が長野県が約半数、ということが分かりました。よき日には、皆さんにゆとりをもって来てもらいたいもの。というわけで、挙式・披露宴は日曜日に開催しようということにしました。土曜日に時間をかけて来てもらい、当日の朝は慌てないで出席、披露宴は二次会なしで早めにお開きにして帰途についていただくことにしたのです。
日取りについては、私の方が特に希望もなかったため、彼女側の意向に添う形にし、2000年の5月7日(日)先勝を、よき日に設定しました。
その後は、すぐに会場の選定作業に取り掛かりました。
実際に決定に際して利用したのは、結婚式場の斡旋会社です。その理由は、個人レベルで各式場へ飛び込みで交渉する場合と、斡旋会社をバックに行動した場合では、後者の方が何かの際に心強かろうということにあります。ただし、これは当初の判断であり、後日になって斡旋会社からの各種の勧誘(結納品、ジュエリー、招待状などの内覧会等に顔を出してくれと、しつこく電話がかかってきた)にウンザリしてしまいました。ベビーブームを過ぎた今は、結婚式を挙げるカップル自体が少ないため、どこの式場もお客さんであるカップルの獲得に必死です。個人レベルでの交渉も案外リスクは少ないのかもしれません。
さて、各会場の評判をスタッフから確かめた後、今度は二人で回ってみました。全部で4会場を午後から夜までしっかりかかって回った結果、三重県の度会郡玉城町というところにある式場で決めることができました。1999年の8月末のことでした。
距離は、私の自宅からクルマで約1時間40分、同じく彼女の家から式場までが約1時間の場所にありました。
また、挙式会場は神前式または教会式にしても、会場の雰囲気が抜群に良いこと、そして披露宴会場も明るくてキレイである、こと等が決定理由として挙げられます。難点を挙げるとするならば、駅からのアクセスが多少良くないということです。

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