西暦 |
年齢 |
学歴 |
主なできごと |
1967 |
0 |
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名古屋市内で生まれる。 |
1968 |
1 |
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1969 |
2 |
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1970 |
3 |
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弟が生まれる。気が付いたら電車が大好きな男の子に。乗せてもらえるのはもっぱら名鉄電車と今はなき名古屋市電だった。 |
1971 |
4 |
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1972 |
5 |
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幼稚園入園。泣いてばかりの落ちこぼれ。おまけに折り紙ができないなど手先は不器用。 |
1973 |
6 |
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1974 |
7 |
小1 |
小学校入学。社会科と国語(漢字)が得意。算数と体育それに音楽はまるでダメ。カブトムシやクワガタムシなどの昆虫採集・飼育とスーパーカーが大好きな小学生時代を送る。この年、名古屋市電が全廃。代わって、地下鉄電車(名市交4号線)が近所を走るようになった。 |
1975 |
8 |
小2 |
勉強嫌いに拍車がかかる。宿題もわざとやってこない「悪い子」に。担任からは「怠け者」と怒鳴られる。(小学2年生に向かって名指しで「怠け者」とはチャンチャラおかしいが。) |
1976 |
9 |
小3 |
担任の先生が個性を認めてくれ、好きな科目は勉強するようになる。若い女の先生だったけれど、男勝りで怒ると怖い先生だった。残念ながら彼女の行方が全くわかりません。今でも会ってみたいです。 |
1977 |
10 |
小4 |
ペーパークラフトで作る蒸気機関車に夢中になる。この後で親が買ってくれたのが16番ゲージの車輌をペーパー車体で作る『HOゲージ』という本。これが、鉄道模型入門のそもそものきっかけだった。 |
1978 |
11 |
小5 |
雪が降り積もった12月のある土曜日に、自由形電気機関車(カツミ製EB66)、線路一式、パワーパックを購入。自宅での鉄道模型運転を開始。 |
1979 |
12 |
小6 |
父に助けてもらいながら、名鉄電車の製作を開始。 |
1980 |
13 |
中1 |
中学校入学。運動オンチにもかかわらず、なぜか軟式テニス部に入部。毎日たっぷりしごかれるも、体のあちこちを痛めて、秋に退部。 |
1981 |
14 |
中2 |
世間では校内暴力や体罰の問題が深刻化。自分の学校では事件こそ起きなかったが、それでも事件スレスレの毎日だった。特に忘れ物をした時の罰が怖くて、神経質に毎日を過ごす。 |
1982 |
15 |
中3 |
あの勉強嫌いが、中間テストで学年300人中10番にまで上りつめる。最終的には30番ぐらいで卒業。 |
1983 |
16 |
高1 |
高校入学。中学校とはうって変わって横着連中がいないので、毎日が平和そのものだった。入学したのがたまたま進学校だったので、周囲に流されるような形で大学受験を目指すことになる。 |
1984 |
17 |
高2 |
幼なじみを急病でなくす。同世代の死を初めて実感し、気持ちが相当に落ち込んだ。 |
1985 |
18 |
高3 |
好きな女の子ができ、付き合い始めたため、鉄道模型の製作がそっちのけになる。 |
1986 |
19 |
大1 |
中学時代と似たような成績で高校を卒業、そして大学入学。通学のため、毎日名古屋と豊橋を往復するという、夢のような4年間が始まる。 |
1987 |
20 |
大2 |
両親が自宅を建て替え。築40年、傾き、すきま風ヒューヒューのわが家がウソのように変身。レイアウト用に一部屋を確保。 |
1988 |
21 |
大3 |
約10年間続いたお座敷運転に別れを告げ、念願のレイアウトルームでの運転が可能になる。 |
1989 |
22 |
大4 |
前出の彼女との付き合いが本格化。またまた模型の製作がストップに。 |
1990 |
23 |
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名古屋市内の学校法人に就職、社会人生活が始まる。配属先(大学学生部)の様子は想像とは大違い。連日深夜の帰宅で、休日はバタンキューの毎日が多かった。 |
1991 |
24 |
… |
仕事は相変わらず。趣味もできない、彼女とは疎遠になるという最悪の1年に。 |
1992 |
25 |
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… |
1993 |
26 |
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仕事が4週6休体制になる。ゆとりができるようになったので、鉄道模型の製作をついに再開。 |
1994 |
27 |
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TMSコンペに初出品。特別賞をいただく。以降も精力的に趣味を楽しむ。 |
1995 |
28 |
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そろそろ結婚したいなあ…と思うようになる。いろいろアクションを起すが、なかなか成果は上がらず。 |
1996 |
29 |
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1997 |
30 |
… |
… |
1998 |
31 |
… |
初めての人事異動。内示を受けた日の晩は、眠れなかった。次の配属先(学園総務部)は、成果の見え辛い部署。またまた始まった深夜帰宅生活で、今度はストレス太りが始まる。秋にかみさんと初めて出会う。 |
1999 |
32 |
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この年のビッグニュースは2つ。1つは、結婚することが決まったこと。もう1つは、出版社(エリエイさん)の取材を受けたこと。次点は、このWebサイト『スカーレットのアルバム』を開設したこと。 |
2000 |
33 |
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32歳にして結婚(創籍3月、挙式5月)。その後、2度目の人事異動と職場の新築移転もあった。一緒に暮らす家族が変われば、住む家も変わる、ついでに仕事内容も職場も変わるという、一生忘れられない激動の1年。 |
2001 |
34 |
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朝日新聞(東海版)の紙面で、自分の趣味が大きな写真付きで紹介される。 |
2002 |
35 |
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長男が誕生。地元テレビ局(テレビ愛知)のニュースの企画特集に出演。 |
2003 |
36 |
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子供をだしにしてカブトムシとクワガタムシの飼育を再び始める。鉄道模型DVDの制作企画に出演。 |
2004 |
37 |
… |
3月に北海道へ家族旅行。8月には約1ヶ月間アメリカ(オレゴン)へ出張。「思えば遠くへ来たもんだ」の一年となる。 |
2005 |
38 |
… |
地元では国際空港開業、万博開催でわいた一年であったが、自分は春の花粉症に始まり、夏に骨折その他で入院加療と、1・2月を除けば体の故障が続いた苦痛の一年となる。 |
2006 |
39 |
… |
退院できたものの、いまだ完全復活ならず。自宅での療養生活の一年となる。模型の製作には見事「復帰」完了。6月に自分の実家に転居。 |