豊橋鉄道7300系 1/3



◆頼れる路線-豊橋鉄道渥美線-

豊橋鉄道渥美線は、愛知県豊橋市と同県田原町を結ぶ全長18kmの路線です。沿線には三河地区の有力企業や大学・高校が点在し、朝夕の通勤通学路線として欠かせないものとなっています。かく言う私も、先述の大学に通っていたため、4年間の学生生活中は、この路線のお世話になりました。当時の渥美線は、名鉄をはじめとする各地の私鉄から譲渡された中古車体に国鉄電車の下回りを履かせた600V車達のパラダイスで、その形態の雑多さは、電車ファンにはこたえられないほどの魅力にあふれていたものです。
「なのはな」号と一般色車しかし、そんな渥美線にも大きな転機が訪れました。1997年7月の1500V昇圧をきっかけに、同線は、スピードアップと単線路線ながらも毎時最大5本と運行ダイヤを確立し、まさに「頼れる都市型鉄道」に生まれ変わったのです。あわせて雑多な車両は淘汰され、かわって名鉄から余剰となった7300系が一族を挙げてやってきました。7300系については詳細を後で述べますが、これによって、当線唯一の高性能車1900系が、旧性能車によって淘汰されるという、他社では考えられないような事態が起こりました。しかし、すべての車両が転換クロスシートで、なおかつ冷房車に置き換わったため、乗客にとっては大きなサービス・アップとなりました。
渥美線にお輿入れした同系は、仕様の若干を豊鉄向けに改装した他は、ほとんど名鉄時代の姿のままデビューしました。車両を印象づける車体のカラーは大半がスカーレットにクリーム色の帯を巻いた、「新豊鉄色」ともいえるものとなりました。また、3編成のみですが、イベント対応用ということで特別な塗装が施されたものが登場し、利用者やファンを驚かせました。
7300系の登場により、しばらくは安泰かと思われた渥美線ですが、ここでの活躍期間は意外にも短いもので幕を下ろし、2000年の暮れには東急電鉄からやってきた7200系(豊鉄での形式呼称は1800系)にバトンを渡し、帰らぬ旅に出ています。

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◆7300系のこと

「なのはな」号と「なぎさ」号名鉄7300系は、戦後まもなくに増備された運輸省規格型電車である3800系の車体更新車として1971年に登場しました。当時の優等列車であるパノラマカーに準じた車体(ただし先頭部分は切り妻貫通型ですが…)とアコモデーションを持っていますが、下回りは種車の流用ですので、当然ながらつりかけ駆動となっています。当初はそのアコモデーションを活用して、支線区での優等仕業に就いていましたが、新車の増備とともにローカル運用が主体となっていきました。
私が印象に残っているのは、まだまだ名鉄本線に旧型車が豊富に残っており、この系列が他系列と頻繁に併結運転を行っていた時代です。パノラマカーなみの車体を持つ7300系と、リベットゴツゴツの800系などが手をつないで走っている様子は、何ともユーモラスなものでした。モデラーとして見た場合、これは非常に関心をそそる題材ではないでしょうか。しかし、年が経つにつれて併結相手はどんどん数を減らしていき、7300系自身も活躍の場が限られてきました。そしてついに1997年には引退し、豊鉄へと旅立っていったのでした。
豊鉄への入線に当たっては、無線アンテナの改造や正面貫通路の固定化と方向幕化が行われた程度で、仕様上の変化はほとんどありません。豊橋入りした一族のうち8両を除いては、種車のスカーレットにクリーム色の帯を2本あしらった「新豊鉄色」で登場しました。残る8両は冒頭で述べたとおり、イベント対応車として特別色が施され、2両1編成がイエローに若草色の帯を巻いた「なのはな号」として、2両1編成はブルーに白帯を巻いた「なぎさ」号として華々しいデビューを飾りました。(なお、残る4両1編成は「なぎさ号」と同色ですが、なぜか愛称は与えられていません。)両者が昇圧運転初日に記念列車の大役を務めたのも記憶に新しいことです。

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